痛みは本物だ

エッセイとかコラムとか

大人は歩み出さなかった理由を欲している

早速、大人の定義からだ。

 

大人は「歩み出すには若くない」と思っている者である。ここで言う大人というのは、大人と自覚している者を指すので、10歳でも自分がそう思うなら大人である。

 

最近読んだ本にインターネットポルノ中毒という本がある。

 

 

 

 

内容としては、1章でインターネットポルノ中毒者の体験記で、中毒下での害・脱却しての益を語り、2章でインターネットポルノの科学的な危険性、3章は総括、といった感じ。

 

この本は随分と“素人”のレビューが長い。さながらテレビの通販番組である。最新の話題すぎて、実際に科学的に分かっている部分が少ないため、素人のレビューも参考にしよう(参考にせざるを得ない)ということなのだろうが。

 

そのレビューらは読むまでもなく2パターンで、「中毒下は悲惨だった」「やめたらハッピーだ!」という2つだ。

 

これらは別々に載せられていることもあったが、続けて記載されていることもあった。この「害から苦しみながら脱却して益を得た」という過程を書いているレビューを読んで思いついたのだが、大人というのは歩み出す理由を欲しているのではなく、今まで歩み出さなかった理由を欲しているのだと。

 

別にインターネットポルノ中毒者がそうだと言うつもりもないし、別にこの本もそんなこと一つも書いてない 笑

 

でも、個人的にはこの言い方がしっくり来た。大人になってから「俺は○○になりたい!強い意志があるんだ!」と言うと、「え、強い意志があるのに、今まで何もしなかったの?何で?」と過去何もしてこなかったことを指摘される(自己が生み出した仮想の他人からも)。「今っ!今、俺は強い意志を持って○○になりたいと思ったんだ!」と言えばいいだけではあるが、そう割り切るのも容易ではない。実際、他人を見た時に、その人がそれに対してどれだけ時間をかけてきたかで情熱を測ることは自然とやってしまうだろう。

 

だから、「始めるには何歳からでも遅くないです!」「これからの人生で今が一番若いんです!」「○○さんは何歳から始めて夢を叶えています!!」などの“歩み出す理由”よりも「あなたは○○によって、今まで夢を諦めざるを得ませんでした。」「あなたがダラダタとしていたのは、実は病気のせいなんです。」「あなたはこれを治して、ようやくスタートラインに立てました。」というような“歩み出さなかった理由”の方が効くのではないかと。

 

この歩み出さなかった理由というのは社会的に説明しやすい程良い。大病が一番良い。インターネットポルノ中毒者がそうだとか言うつもりも全くないが、「俺はインターネットポルノ中毒だったから、今まで歩み出せなかったんだ。」と社会的に言えるようになるだけで、楽になれる。歩み出せる。単純なようだが、仮にそれを他人に言えなかったとしても、内なる他人を克服できるだけでも大きな進歩である。

と、ここまで書けば、歩み出す理由・歩み出さない理由などは、ただの後付けの理由でどうにでもなるような大したことがない陳腐なものであると分かるだろうから、好きにやればいいのである。やりたいからやる。ガタガタ言う他人にはうるせえと言えばいいのである。