痛みは本物だ

エッセイとかコラムとか

音楽理論について

音楽理論についての自分の立ち位置と見解を述べておく。

これは今までの俺のまとめでもあるし、未来の俺がどのように感じていたかを確認するためのメモである。

※特に読み物として形作るつもりもないので、散文的なまま投稿します。

 

音楽理論は平たく例えれば歴史と文法の集合。定跡、格言のようなものもある。学んで得られるものは学習効率のブーストであって、作曲能力ではない。ただ、もちろん作曲能力の向上速度に寄与することは間違いないので、学ぶメリットは十分にある。(気をつけなくてはならないのは、音楽理論は作曲能力の向上“速度”に寄与するだけで、作曲能力の向上には寄与しない。作曲能力の向上のためには、作曲する以外にない。これが唯一の解。ここをしっかり認識しておく必要がある。理論を学んだだけでは作曲能力は向上しない。)

 

学習の際に一番苦労するのはその理論の読解、つまり国語力。歴史や文法自体は難しくないのだが、それを書いている日本語を理解するのが難しい。

 

また、音楽理論がカバーできる範囲というのは「何で?」を突き詰めていって「それが人間にとって気持ちいい(悪い)から」というところまでで、そこから先は人間と音の関係に関する心理学、脳科学などの分野になる。音楽理論は人間の気持ちよさという幹から出る枝葉のことである。この空間感覚は超重要。

 

俺自身の理想の学習方法(独学)。

俺自身は作りたい曲が先にあったりするので、そこから自らが学びたいと思うものも自ずと決まってくる(学びに大雑把な優先順位がつくだけで、学ばないでいい知識があると思っている訳ではない)。また、既に基礎的なポピュラーミュージックの理論は習得しているので、全く意味がわからないということが起こらない。独学で最も困ることは、気になったことが書いていないこと。意味がわからないという場合は著者の日本語が下手で意味不明になっているというパターンなので、他の著者から辿れば大体意味がわかるので、そこまで問題ではない。ただ、独学での問題は自分の中で生まれた疑問に本が事前に答えてくれているとは限らないこと。

ここで、師が必要になる。つまり、俺は家庭教師的なサポート音楽理論先生に質問できる環境が一番ベスト。そして師への質問内容は納得するまで幹まで辿るということ。

 

 

根拠

 

音楽理論は基本的に末端の枝や葉を学ぶことになる。そこがつまるところ作曲メソッドである。そこでスムーズに学習できる(特に気にならない)こともあれば、もっと幹の方の枝や葉を学びたいと思うことも多々ある。それは自身の納得感だけであって、特段根拠のあるようなことではない(どうせ人間の気持ちよさという幹まで行くので、どこで辿るのをやめるかは人それぞれ)。

 

例えば、

「G7→Cで解決します」と言われ、音を聴いて納得して次に進む人はそのままでいい。

 

だが、どうして解決するのか気になる人は

 

「G7のF,BがE,Cへ動くことで解決します」(ルートG→Cの完全5度の動きも関係あるけど省略)

「G7のF,Bは減5度のトライトーンで不安定」

「減5度は周波数比^(6/12) = 2^(1/2)=√2で綺麗な整数比にならないから」

(以下、幹まで続く)

 

これは初歩の理論の例だが、これは複雑な理論になればなるほど幹から離れた位置にあるので、この↓への矢印の数が膨大になる。そして、この幹への旅で、どこで納得するかはその人次第である。ある場所からは幹まで辿りたくなるかも知れないし、ちょっと枝を前に戻るだけで十分納得することもある。

 

音楽理論のカリキュラムとはこのようなバランスを踏まえて作られているのだと思う。つまり、多くの人が納得するような枝葉と幹のバランスをうまく組み合わせて作るということ。その幹まで戻る量を概ね定めるのが音楽理論教師の役割であって、これが教師が生徒の学習の有限性を決める役割ということ。

 

音楽理論の師になるには、どこからでも幹までステップを踏んで辿れなければならないので、知識の量が所謂理論を勉強した人では無理なことが分かる。逆に理論を勉強して作曲に活かすだけなら、自分の納得感の分だけ遡れば良いので、全てを網羅的に勉強する必要もない。

 

こうなると、打算的に言えば幹まで戻るのは労力が大きいだけで意味がないように感じるかもしれないが、全ての枝葉は幹から出ているので、戻れば戻る程、自らの中で独自の見解や理論を導く地力、そして独学で学べる自力がつく。だから倍音だとか周波数の話は重要で、作曲メソッドとしては大して意味をなさないが、その後の納得感や、自らが作曲について考えていく際に根源的な部分で重要になっていく。

 

学習の禁則

理論的な整合性に執着しない。音楽という現象が現実であって、それが全てであるというスタンスを忘れないことが大事。(雨が降っている時に「今日は降水確率0%なので、雨が降っているのはおかしい!」と言うのは馬鹿げている。)