痛みは本物だ

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左腕と右利き

自分の左腕は何気に美しいという気がしている。177cm、46kgであるから、左腕も痩せ細っているのだが、なんだか最小限というか、最低限の腕という感じがして、骨格だけのアンドロイドのようだ。

ただ、ヴィジュアルは同じなのに右腕にはあまり美しさを感じない。これは俺が右利きだからに思う。なんだか、右腕は意志があって気持ち悪いのだ。あまり使わないから左腕が美しく見える距離感にあるのだと思う。

 

 

こんなことは俺自身が困るからやることはないのだが、俺は左腕を切り離して、部屋に飾りたいと思うことが時々ある。切り離したいというよりも、それを部屋に飾りたいという欲求の方が強い。部屋にあるものは全て替えがきくような既製品ばかりで、唯一無二の物と言えば俺の書いた絵ぐらいだろうが、こんなものは別にまた書けばよいだけのことである。「これは大切なんだ。これは俺の○○であるから」というようなものが、俺の部屋にはない。

 

大事なものがないわけじゃないんだ。自らが欲しくて買った思入れのある品もあるし、祖母の形見もあるし、毎日使う愛着がわいているものもある。だが、それらはどこかですでにもうお別れが済んでいるんだ。そういうものを失ったとしても、「それは過去だった」と言えてしまうような。

 

俺は左腕を切り離しても、それを過去だと切り離せるのだろうか。それにも興味がある…。

 

ただ、やることはないのだと思う。色々と考えたのだが、やはり不便だ。単純に。

 

 

追記:

書き終わってすぐに思ったのだが、これは、切り離せば愛着が沸く自分の身体に、切り離す前は愛着が沸かないということになる。俺の愛着の距離感、美しさの距離感、これらは追考する価値がありそうだ。

 

 

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