痛みは本物だ

エッセイとかコラムとか

ブランドと所有


2016年秋頃。五万円近く払って憧れのモデルのスマホを買った。Xperia Z5C。Xperia Zシリーズが出た時の感動を思い返そう。一番好きな濃い紫のボディ。シンプルかつスタイリッシュなデザイン。自分の好みのドストライクだった。それに、他を見渡しても類を見ないデザインで、あのデザインは今振り返っても本当に革新的だったと思う。その上、ハイスペック。将来絶対に買うと決めていた憧れのモデルだった。

ただ、悲しいことに2016年にはもう紫のカラーがラインナップされることはなくなっていた。Z5Cにも紫はないが、ホワイトも十分素晴らしかったのでホワイトを購入。(Z5CはZシリーズのCompact版)。毎日弄ってはニヤニヤしていた。こいつはかっけえぞーと。そして、買ってから1ヶ月程経ったとき、電車に急いで乗ろうと焦っている最中、ホームで時間を確認するためにスマホを取り出そうとしたら、手が滑って落とした。プラスチックの角の部分に傷が入った。使用には問題ないが、あれだけ大事にしていたZ5Cが傷物になった。とりあえず電車に乗るも、乗ってからずっと、かなりの時間イライラした。とりあえず頭の中であらゆる矛先を探して見渡すも、原因は結局自分しかいない。すれ違った人も電車もホームも何の責任もない。だが、自分を責めるのは耐えきれず、矛を握りしめ振るわせていた。
そして数時間の苛立ちという現実逃避を経て、どうにかしたいと思い、その場でプラモデル用の研磨剤などを検索し、通販で購入。自分で傷を何とかしようと試みた。ここで気づいた。今、俺はこのスマホを所有したと。今までは完全にスマホに振り回されていた。憧れのモデルだったから、そのスマホを崇拝していた。ブランドを崇拝していた。だから、自分で何か手を加える気なんて全くしなかった。スマホ自体の存在を自分の中で高めるあまり、自分がスマホに管理されていたのだと気づく。傷が付いてからはもうブランドを感じなくなった。モデルへの憧れもなくなった。それからは自分で背面パネルを剥がしたりして、フレームの割れの修正を試みたり、傷を消すために研磨したりと、色々な改良を行った。結局、その後に他メーカーで良機種が出て、今はそれを使っているのだが、Z5Cのおかげで所有について、良い実感を得られた。これから先、所有という主従関係を掴む実感を得られないものは、所有できないのだと知った上で接する必要があるのだと思う。